次の文章は、私の成人した三肢麻痺の、車椅子での生活の長男、純が、肢体不自由児「者」父母の会「どんぐりの会」で知合った友人のために協力して配布している文章です。
「ボランティアのお願い」
夜間中学通学のための送迎にご協力ください。私は、脳性マヒで手足の不自由な三十六才の女性です。(注・彼女は生活全てが全面的介助が必要で、動く事はもちろん、寝返りすることも自分で食べることも、全く出来ません。)
性格は明るくほがらかで、何事にもクヨクヨせず前向きです。夢は学校の先生になることです。が、しかし、学校という所へ行った経験がまったくありませ
ん。私は以前から学校に行ってもっといろんな人と巡り逢い、一緒に勉強をしたり、色々な事を話し合ったりして自分の世界を広げたいと思っていました。でも、それはかなわぬ夢だとあさらめていたのです。
何年か前、友達から「夜間中学」というものがあるという事を聞き、私にも学校が夢ではない事を知り、どうしても行きたいと思い続ける様になりました。
そこでとうとう行動に移すことになり、今回、天理市夜間中学校へ通えるようになったのですが、問題は通学の事です。一人では学校に通うことができないので、自宅から学校まで、学校から自宅までの自動車での送迎をお願いしたいのです。送り・迎えどちらか一方でも結構ですので、自動車の免許を持っておられるボランティアの方をさがしています。学校は週二回、火曜日、木曜日の五時半から九時までです。たとえ一ヶ月に一回でも結構ですので、協力していただける方、
ぜひご連絡くださいます様よろしくお願いします。
金森光枝(本人) 電話07443−3−5332 [十九時から二十四時」
天井 純(友人) 電話0744313−1510
新生児期の脳炎のため、脳性麻痺となった長男は、左手一本で、様々な訓練や手術を乗り越えて、現在、京都の通信教育の仏教大学社会学部社会福祉学科に在学し、自宅での勉強と、京都・奈良・橿原で行われる試験や講義、京都のスクリーニングヘ、「一人」で、駅員さんや、電車の車掌さんや、タクシーの運転手さんの介助を受けながら「車椅子通学」しています。
そして、私が重度肢体不自由者適所施設「どんぐりの家」建設委員会に参加し、手伝いだした事から、彼は、明日香養護学校高等部を卒業してから、自分の意志で自分の決定で「どんぐりの家」との関係を創っていきました。
そして今、週1回、光技さんに国語や算数を教えに行っています。その経過のなかで、前記の「ボランティアのお願い」が出てきました。
私が風邪の光枝さんを初めて診察したのは、平成二年十月二十三日です。すでに、五年以上の付き合いになります。彼女は、周囲との意志疎通も出来、「わたばうしコンサート」にも詩が入選した女性です。しかし、私は、今回、この学校へ行きたいという彼女の願いを知るまで、その過去の教育環境を知りませんでした。また、知ろうともしませんでした。意志と意欲がありながら、その社会的環境・生活環境がないが為に、彼女の学生生活は無く、また、配慮もされませんでした。そして、今、息子の学生生活を確保する為には努力した私は、その息子から、色々な事を学びつつあります。健常者にとって当たり前の事が、障害を持つ人にとっては、計り知れない困難な事だという事は理解しているつもりでした。
しかしそれはたとえ三肢麻痺であれ、自分の意志で自分の努力で、社会的に活動出来る息子の父親の理解だったようです。重度の肢体不自由者の立場での理解には、ほど遠いものでした。
磯城郡肢体不自由児[者」父母の会、どんぐりの会には、重度重複の子供達がいます。生きていく事自体が戦いである日々を越えて頑張っています。
福祉が、障害を持った人々の当たり前の生活を支える社会ではない現在、それを支える努力をしなければならないと思います。
今、医師も大きな変革を要求されているのだと思います。聖域であった医療の世界にも、経済性が当然のように要求されています。しかし、今も、医は仁術なりの精神はその根本にあり、医師会としての組織の力を、障害者医療・福祉へも注ぐべきだと思います。
障害者の身近にいながら理解出来ていなかった私の二の舞にならないよう、
多くの医師がほんの少しでも重度重複障害者を知り理解する事が、まず必要です
。奈良県医師会に、新たに創設された保健・福祉医部会に期待します。
人類・社会への理解と思いやりは、患者さんや障害者の生活そのものを知る事から始まると考えます。バブル経済が破綻し、阪神大震災が起こり、それぞれが自分の生活基盤を問われる時こそ、真に医師としてどう生きるか、問われているのだと感じます。
自分に出来る「かかりつけ医」とは何なのか、自問自答し、地域のなかで人間として、医師として、障害を持つ人々の友人としてどう生きていくのか。しかし、一人の人間としては、医師の仕事としての二十四時間の一人での対応は、困難であり、不可能です。組絨としての対応が、システム造りが、当然必要となります。そのための試行措誤が必要です。地域に密着した、地域の特性を生かした
システムが待たれます。そして、それぞれの立場での理解と協力が障害者にも、全ての人にも、住みやすい社会を創造していくと思います。ボランティアの輪が拡がり、つながっていくことを願っています。