陀羅尼助

 吉 條 久 友 (大和高田市)

 大和の漢方薬の歴史は古い。推古天十九年(621)、二十年、二十二年五月五日、宇陀での「薬狩り」、皇極天皇三年(644)宇陀にて無病長寿に効ある紫色のキノコが採取されたといった記録があるものの、文献、史料でその歴史をたどることは難しい。
 近年、藤原京、平城京跡より医薬関連の木簡が多数出土しており、今後の究明が待たれる。なお、推古時代の「薬狩り」は薬草採取の行事と考えるのが通説である。前後の記述から古代中国で行われた薬草採取を意味したものでなく、狩猟のことで、江戸時代、猪、鹿の肉を食べることを「薬喰い」といっていたことにも通じるのではないか。

 吉野、宇陀地方は各種の薬草の供給地であった。そのため江戸時代中頃、医学薬学の向上、民間における需要の増大、流通経済の発達により、中南和を中心に組織的大規模な薬種、製薬業者が多く興っている。中世は西大寺豊心丹のような社寺の秘伝薬が主流であったのに、元禄年間「天狗蘇命散」、安永年間「三光丸」のようなヒット商品が製薬業者により販売されている。御所市、高取町にはその伝統を継ぐ製薬業者が多く、今も薬の町として全国的に知られ、昭和五年度、奈良県主要産業統計によると売薬の総生産額は米に次ぐ第二位、その三十%であるから驚きである。往時の盛業ぶりがうかがえる。

 『奈良県薬業史』(平成三年刊)の見開きに役行者坐像(御所 吉祥草寺蔵)の美事なカラー写真が飾られている。修験道の開祖、役行者が製薬一般に関係したという伝承はなく、大和を代表する最も古い和薬、陀羅尼助を創始したという伝承によるのであろう。陀羅尼助の名は役行者小角が信仰していた孔雀明王陀羅尼経に由来するといわれている。孔雀の呪法とは、孔雀が毒蛇をたべることから、古代インドで災難から身を守るまじないに転じたものである。ちなみに、陀羅尼経は世界最古の印刷物として知られる法隆寺百万塔の納入経であり、数種類あるといわれている。陀羅尼助という商品名は役行者小角にちなむ後世の付会であって古いものではない。延享四年(1747)、浄瑠璃「義経千本桜」に陀羅尼助の請売人の登場するのが初出とされている。

 この薬はキハダやオウレンの樹皮を寒中、鍋で煮つめてそのエキスを固めたものである。単品で薬用にされるため、生薬を組合わせた漢方薬や和漢薬と区別するため、和薬の範ちゅうに入れるのが適切であろう。ジユーヤクのように薬効は疑問視されながらも根強い人気のある民間薬と異なり、その薬効は科学的に確認承認されている。含有する有効アルカロイドのうち主成分ベルベリンは薬効のみならず化学構造式も解明されており、塩化ベルベリンとタンニン酸ベルベリンの二種が現在の薬価基準薬として健保適応になっている。その効能書きによれば、in vitroでコレラ菌、腸チフス菌、赤痢菌に対する殺菌作用と粘膜、皮下に適 用すると局所の麻酔作用があり、効能、効果は「下痢症」とあり適応範囲は広い。

 以前、商品名「エスベリン」の注射薬、内服薬を打撲、捻挫の患者に使用していた経験がある。今では厚生省の薬効見なおしにより適応から消除されているため、使用することができない。これは近年、多種類の消炎鎮痛剤、消炎酵素剤が開発されており、薬効の点で劣るためであろう。江戸時代より昭和五十年頃までの効能書きに打撲、捻挫の類が適応症とされていた。

 明治十年四月、当麻寺中之坊住職 松村実勝が内務省に提出した売薬営業免許鑑札願書(同年一月太政官布告、第七号「売薬規則」に基づく)のなかで効能として「癪ツカヘ、腹痛、ヤニ目、カスミ目、腫物、毒虫ハレ、ヤケド、切キズ、牛馬ノ病」をあげ、眼病には「暖カナル茶ニテ溶キ、一日二、三度洗フ」、腫物、ヤケドにも何様に溶かして一日五、六回、付けると外用法もあげている。(元県薬事指導所 中嶋源治氏御教示による) 内服のほか、外用薬として利用するためには現在のような丸薬でなく、当時のように板状にしたものでなければならない。『大同類聚方』(808年、平城天皇の勅命により編纂された本邦初の薬 局方)に外用例として「万良加差ノ洗ヒ薬」がみえる。用法は「男ノ万良(陰茎)又ハ女ノ都美(女陰)ノ加差(皮ふ炎の類)共ニ、温メテ、日ニ、三、四度洗フ」とある。ただし、この洗滌薬はキハダの抽出エキス単独でなく波々支須、袁々被古など四種類の配合薬である。

 だらに助 腹よりはまず 顔に効き

 の古川柳の通り、ベルベリンのため、味はきわめて苦い。山伏のような修験道者や仏法の修業僧は睡魔とたたかうために口に含んだり、乳児の乳離れの時、母親は乳頭に塗布するといった用例もある。

 キハダの産地は類聚方に肥後国のみあげているが、日本におけるキハダ属の天然分布は日本列島全域に及んでいる。したがって、役行者が創始したとする伝承より古い時代に、妙薬として広く民間で利用されていた可能性がある。サルファ剤や抗生物質が開発される以前、例えば幕末、コレラが猛威をふるった頃、或いは赤痢、腸チフスを含む下痢性疾患全般に奏効、多くの患者の命を救ったこともあったのではないだろうか。

 下市の食堂に飯はみ居りぬ
  だらにすけ丸の張り紙ありき
(平成四年、よみうり歌壇入選歌中より)

 ローマ字を創ったヘボン編纂、日本初の和英辞典「和英語林集成」に、売薬として万金丹とこの陀羅尼助だけを収録している。
 陀羅尼助は古くて新しい薬である。
 
参考文献; 「陀羅尼助」 銭谷武平著 昭和六十一年刊 薬日新聞社


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