平成17年7月2日 |
便通異常の診断と治療-過敏性腸症候群(IBS)を中心に |
大阪府済生会野江病院 消化器科医長羽生泰樹 |
便秘・下痢という言葉で表現される便通異常は、最もありふれた愁訴でありながら、その背景や重症度は様々であり、OTC等による自己制御では十分でなく医療機関を訪れる患者さんには、便通異常が大きく生活の質に影響を与えている場合が多く、背景を十分理解して、適切な治療を行なうことが望ましい。器質的疾患によらずに便通異常を呈する機能性疾患の中心的存在であり、特に重要な疾患である過敏性腸症候群を中心にその診断と治療の実際について、概説する。 過敏性腸症候群(irritable bowel syndrome: IBS)は、便秘、下痢といった便通異常が持続し、腹痛 、腹部膨満感、腹鳴など種々の腹部症状を訴えるが、症状を説明するのに十分な器質的病変が腸管内外および関連臓器に証明されない腸管の機能性疾患と定義される。IBSは、その優勢症状により下痢型、便秘型、下痢と便秘を交互に繰り返す交替型のサブタイプに分類される。具体的な診断については、腹痛あるいは腹部不快感が12ヶ月の中の連続とは限らない12週間を占め、下記の2項目以上の特徴を示す、(1)排便によって軽快する (2)排便頻度の変化で始まる (3)便性状の変化で始まる、とするRomeU診断基準が使用されることが多い。 IBSの頻度について最近の報告では、わが国の内科受診患者でIBSのみられる割合は31%で、男性27.5%、女性34.1%と、女性でやや多い傾向がある。また、年代別の発生率では、10歳代の若年層で最も高く、その後20歳代、30歳代、40歳代と加齢に伴い次第に低下し、70歳代で最も低下するが、80歳代以上の高齢層になって再び上昇する傾向がみられる。古典的には、IBSは若年者の疾病という印象が強いが、最近では、高齢者のIBSを多く経験する。高齢者の場合、問診や現病歴からIBSが疑われた場合、諸検査にて器質的疾患がないことを確認した上で診断することが欠かせない。わが国のIBS 診断・治療ガイドラインでは、50歳以上での発症または患者は、大腸器質的疾患の既往歴・家族歴のある場合と並んで危険因子とされており、器質的疾患の示唆される臨床症状・徴候が認められる場合と同様に、諸検査による確実な除外診断が推奨されている。 IBSの病態は、ストレス- 脳 - 消化管の相互作用、いわゆる脳腸相関 (brain-gut interactions) が中心をなし、IBS 患者の大部分は、ストレスによって症状が発症もしくは増悪する特徴を有する。下部消化管症状以外に、頭痛、動悸、頻尿、疲労感などの多彩な身体症状や、抑うつ感、不安感、不眠など精神症状、心身症の病態を呈することも多い。このような症例では、多彩な症状のなかに、IBSの症状が含まれていることも多く、問診を十分に行うことで、典型的なIBSの病態・病歴が明らかとなる場合も多い。IBSの病態形成に心理的異常の関与が示唆される所以である。 IBSの薬物治療については、高分子重合体であるポリカルボフィルカルシウムが下痢および便秘のいずれの症状に対しても効果を発揮し 、IBSの第一選択薬として推奨されている。ポリカルボフィルカルシウムを第一選択とし、優勢な症状により必要に応じて、下痢では乳酸菌製剤、抗コリン薬、止痢薬などを 、便秘では下剤や消化管機能賦活薬を、交替型では消化管機能賦活薬などを組み合わせて使用する。腹痛に対しては抗コリン薬、抗うつ薬が有効な場合がある。また、抑うつ、不安傾向がみられる場合には抗うつ薬や抗不安薬が有効な場合もある。IBS患者では、腸管運動機能が障害されて腸管内容物の通過時聞が短縮したり延長したりすることにより、腸管からの水分吸収量が変化して下痢状態や便秘状態を生ずる。また、腸管機能は内容物の性状により影響を受けるため、便の性状を改善することで腸管運動の正常化や自覚症状の軽減が期待できる。ポリカルボフィルカルシウムは、腸管内容物の水分量をコントロールして便性状を正常化するという作用機序により腸管運動を正常化し 、下痢症状と便秘症状の両方に効果を発揮する薬剤である。承認時の臨床試験の成績では、下痢症状に対して改善以上で65.2%、便秘症状に対しても60.0%の有効性が確認されている。加えて、腸管から吸収されないので全身性の副作用の危険が少なく、長期でも安心して使用できる優れた薬剤である。ほかにも、効果過剰による下痢や便秘を起こさない、排便時に腹痛を伴わない、適度な柔らかさの有形便を一度に排出することで残便感が改善される、といった優れた性質をもち、IBSの第一選択薬と位置づけられる。わが国のIBS診断・治療ガイドラインでは、IBSの第一選択薬としてポリカルボフィルカルシウムなどの高分子重合体と並んで消化管機能賦活薬が推奨されているが、わが国で行われた臨床試験では、ポリカルボフィルカルシウムは、消化管機能賦活薬であるマレイン酸トリメブチンを凌駕する成績が得られている。ポリカルボフィルカルシウムは、下痢症状に対して比較的早期から効果が現れる傾向があり、多くは2週間程度までに症状が改善する。軽症であれば、食事や生活習慣の指導のみで、症状の寛解が維持できる場合もあるが、薬物治療の中止により症状の再燃がみられる場合には継続投与が必要である。また、中枢の関与の大きいIBS症例では、一般に重症かつ難治の傾向が強い印象があるが、症例によっては、腸管局所で作用するポリカルボフィルカルシウムの投与により、便通異常や腹痛・腹部膨満感といった消化器症状に著明な改善がみられる場合もあり、第一選択薬として積極的な使用が望まれる。便秘型の症例ではポリカルボフィルカルシウムは、効果発現までにある程度の時間を要する場合があり、投与開始時には服用を根気よく継続するよう患者指導を行うことが勧められる。 消化管機能性疾患の臨床では、薬物療法以外の患者指導も重要であり、(1)患者の症状をよく聞き、受容し、コミュニケーションに努めること(信頼関係の構築) (2)器質的異常がないこと、悪性疾患でないことを説明すること(保証) (3)便通異常のメカニズムについてわかりやすく説明すること (4)症状と関連する心理社会的背景を理解し職場、学校、家庭における環境調整について考慮すること等がポイントとしてあげられる。 最近の報告からIBS 患者のQOL低下が著しいことが示されており、米国の調査ではIBS患者のQOLはうつ病患者と同様に低下しているとも報告されている。便通異常によって低下したQOLを高め、排便コントロール可能な、よりよい社会生活を過ごせるよう援助することは臨床上極めて重要である。便通異常の背景にある病態を十分理解し、病態に応じて薬物治療を含めた適切な治療を行うことが望まれる。 |
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