現在日本で医師の数が不足していることは衆目の認めるところであり、政府も医師の養成数を増員する方針に転換した。厚労省は医療費の増加が国を滅ぼすとした、いわゆる医療亡国論に立ち、医師数を減らせば医療費は抑制されると主張し一九八〇年代から医学部定員の削減を実施してきた。これには三つの誤りがある。第一に、医療体制を経済性のみを追求して企画立案したことである。医療は国民の命に直結する安全保障の社会インフラである。この根本を無視した暴挙であった。二つめはこの時期に当然予想された高齢化の進行で、患者数が急増することを無視し、需給のバランスを大きく損なった。三つめは、供給を減らせば全体の医療費が抑制されると考えた発想そのものの誤りである。経済論を知らなくても、常識として供給側の作り手が減っていけば、その単価は需要のある限り上昇する。少ない売り手の時には値段は上がるのである。ところが当時の厚生官僚は、売り手の医師が減れば、買い手の患者の需要も減って、総額としての医療費も減ると断じた。現実は数千万の年俸を出しても医者は集まらないという。素人の私が考えてもこの経済論は分かる。売り手が減れば、単価は上がるのが当然である。単価の総額が医療費である。ただこの単価が公的管理を受けているので、厚労省のような誤った考えに行き着くのだろう。どこかで無理が生じた結果、現在の医療崩壊が進んでいると言える。
実際の現場で医師不足が起こっているのは、医師の絶対数の不足に最大の原因があると私は考える。そのほかに女医の問題が大きい。女医の問題を取り上げることは、ジェンダーの複雑な議論と関わってくるためマスコミも政府も正面から取り上げようとはしない。しかしこの問題を無視しては本質を掴めない。おそらく現在では医学部卒業生の三割前後が女医であろう。この傾向は過去十年あまり続いているに違いない。そして女医の多くが小児科や産科を志望すると推定される。この大きな集団が丁度実戦部隊となる年齢で一時姿を隠すのである。これは医師不足の最大原因の一つと言えるのではないか。しかし、この分析をしようとしても、医師の実働状況が全国的規模で分かっていない。今回日医は医師不足の調査を始めており、中間報告を出したが、この問題を正面から取り上げ詳細に分析する義務があると思う。
病院の医師が特に不足している点に関して、誰も取り上げない重要な側面がある。それは在院日数の短縮である。私が病院を辞めた直接のきっかけもこれである。もともと左に脳梗塞を発症し半身の不全麻痺で通院していた男の患者さんが、今度は右の梗塞をおこして入院され、集中治療室に一週間あまりいてどうにか一命を取り留めた。そして一般病棟に移り家族が交代で看病に付き添った。一年を超す入院となったが、その頃に入院日数の短縮が病院の中で大きな厚保料となって来つつあった。とうとうその患者さんは半ば強制的に退院された。もう四半世紀前のことである。集中治療室でのあの努力は何だったのかと思った。そしてもっともっと締め付けが強化され、現在では十数日が限度とのことだ。これまで数ヶ月入院してリハビリをやって退院した患者さんが、その数倍の早さで回転して入退院をする。そうすると担当する医師は、絶えず重症の患者を緊張を強いられ続けて診ていかねばならない。患者数が変わらなくても、労働強化は数倍となり病院勤務医は疲弊していくのは当然である。厚労省は医師の労働単価を力づくで引き下げたのである。病院経営の存立という大義名分の前に、勤務医は塗炭の苦しみを味わわされている。
更に在院日数の制限は、入院当初は神様のような存在であった医師が、ある日を境に氷のような人間に変わってしまう。患者にとっては悪夢のような、医師にとっては理想と誇りをはぎ取られるような、つらい悲しい場面を生み出し、患者の喜ぶ顔を見て厳しい労働に耐えてきた伝統の医師魂をつぶしてしまっているのである。
結局唐沢日医会長の言われるように、この医療崩壊を食い止めるのは、社会保障費の飛躍的な増額である。需要に見合った経済的裏付けなしには解決しないと考える。需要に合わない無理な医療費の削減目標が、医師養成を減らし、医師の労働強化をもたらし、女医の現場からの退避を招き、さらに若い医師達に診療現場における挫折と失望の種を播いたのではと考える。
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