平成20年番外
医療の産業化

 医療の経済性や経営効率などという言葉が語られるようになって久しい。本当に医療に経済性が成立するのか、甚だ疑問である。人が営んでいる限り、経済とは切り離せない社会活動であることは確かである。しかし、医療は利潤を追求する経済活動とは異質のものであることは、どなたも了解するはずである。なぜなら、人の命は金銭には代え難いものだという社会通念があるからである。
 しかし、年間三十数兆円の規模の社会活動は、立派にひとつの産業である。世界に冠たる日本の自動車産業に匹敵する規模だという。
 日本の経済発展が貿易に支えられていることは周知のことであるが、昨今の米国経済の危機的状態に直面し、海外とくに米国への輸出に依存していては、今後の日本経済は危ういとの認識から、内需拡大を叫ぶ声が大きくなっている。その内需の最大のものが医療産業であり、それに関連した保険産業であり、介護ビジネスなどの周辺産業である。医療を産業としてみることは、医療者にとっては、不純な、嫌悪するべき発想と映るが、経済学者などは、当然、ひとつの巨大な産業と捉えている。
 内需拡大による日本経済の再構築に、最大規模の医療が産業としてではなく、純粋の福祉として特別扱いされることはないと考えねばならない。ところが、医療は医師という専門集団、あるいはライセンスで法的に守られている聖域となっている。これを切り崩そうと考えるのは当然である。
 そこで、経済諮問会議が規制緩和を旗印に、自由診療や株式会社などの施策を取り上げてくる。医療の中核の診療分野はさすがに手を着けにくいが、健(検)診や療養という分野をターゲットにして、医療の周辺から中身に手を突っ込んで、少しずつ利潤の剥ぎ取りを進めているのが、現在の厚労省の動きであると私は考える。丁度、タケノコの皮をはぐようにである。
 健(検)診は、医師が意義のあるものとしてお墨付きを与えている。しかし検査自体は必ずしも医師がやる必要はない。そこにビジネスチャンスがある。
 この典型例が今回の特定健診である。傾きかけた国保の保険財政の中から、効果の明らかではないメタボ健診の為に巨額の出費をする。それを熱心に推進するのは企業配下の健診機関である。また指導し、種々のサービスを用意するのも、医療機関でなくてよい。 
 もっとも問題になるのは、健診対象者が国保や社会保険組合に加入している人たち全員であることだ。病気の発見を済ませ、現に治療を受けている人たちも健診の対象とすると法律で定めた「法律で定めたから全員受けなければならない」という医学的合理性は全くない。
 さらに、今年もし糖尿病が発見され、医師を受診したとしても来年も健診は受けねばならない。少なくとも5年間連続して健診を受け、医療費を支払われる、医療ではない健康管理指導を受け続けねばならない。5年経過した段階で健診の受診率を評価して基準をクリアできなければ、保険料に課徴金をかけるというのである。「軽症の糖尿病があっても医師にかからず、ビジネスとしてのプロに指導してもらえばよろしい」と、表立っては言わないものの、実質そのようにやっていこうという意図である。
 法律がこうなった以上、直ぐにこれをひっくり返すことはできないが、我々が直接関わって実行される国保に限っては、運用面で医学的合理性を主張し、医師の診療が必要な患者と判断されれば、次回からの健診受診は不要であると指導すべきである。少なくとも医師会は、そのように会員に説明し、国保機関や厚労省にも主張し、大いに指導力を発揮すべきであると思う。


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