先日NHKの「医療再建・医師の偏在」という番組を見ました。その中で明らかに国民をミスリードすると思われる内容があり、現役医師として看過できないものと考えます。番組では日本の医師数は増加しているという前提の下に議論を進めていますが、この大前提が間違っているのです。医師数は実際的には増加していないのです。この理由を以下に述べたいと思います。
プロ野球選手を例にとって考えてみましょう。選手が何人いるのか、現役選手は大体の見当がつきますが、OBを入れるとどうか簡単には分かりません。現役選手は12球団に定員を掛ければおよそ推計できます。これはおそらく毎年同じような数字でしょう。OBを加えれば、生存者すべてになりますから年々増加しているのに違いありません。この意味での増加という言葉を曲解して使っているのが、医師不足論議の際に出てくる医師数の増加という言葉です。NHKの番組で初めに示されたグラフでは、まさに医師数は右肩上がりに増加しています。これを根拠に医師数は全体として増加しているから、現在の医師不足は偏在が主な原因であると断じてその後の議論を進めていました。
ここでよく考えてみてください。第一に医師は死ぬまで現役医師として算定されます。日本の平均寿命が伸び、かつ一時期医学部学生数の増員があったので、右肩上がりのグラフになるのは当然です。これはプロ野球選手経験者総数と同様です。しかしプロ野球選手が年々増加しているとは誰も考えないでしょう。医師数も同様です。病院で厳しい労働をする年代は40才代までで、それを過ぎると当直などはしない管理職になっていきます。現役選手は医師の場合もある年齢層に限られるのです。
第二に野球選手の場合は球団数が一定で球場が整理される時代に入り、選手需要が増えることはありません。ところが医師数の場合は、高齢化が急速に進み医療需要が急速に増加しています。必要数が年々増加しているのに養成数が一定です。そればかりか一九八三年の厚労省官僚による医療亡国論を機に養成数を減らしてしまいました。高齢化による患者数の増加に対して、相対的な医師数はむしろ劇的に減少しているのです。
第三に、病院の医療業務はこの二十年圧倒的に増加しています。厚労省が打ち出した入院日数の制限です。現在十数日の入院でないと、もしそれ以上であれば診療費収入が減少する仕組みになっています。私が数十年前に病院で循環器専門医をしていた頃は、心筋梗塞の患者さんは約一月入院しないと危険だと考えられていました。現在は一週間で退院します。そうするように厚労省は経済的制約を強いているのです。入院患者さんを十人受け持っていて、その内三人が急性期の重症で、七人が安定期の回復患者さんなら勤務医も一息つけますが、現在のように入院日数が半分以下に制限されますと、重症患者さんが七人以上で回復期の患者さんは三人以下となります。当然勤務医の業務は倍以上になります。これは相対的な医師数の減少にほかなりません。このような医療現場での過重労働が勤務医の疲弊につながっているのです。
単純に医師数の年次数グラフを示して増加と断じては間違いなのです。さらに医師総数の中身が重要です。実働している医師がどれ位いるのかを問題にすべきなのです。年齢別に性別を考慮して正確に分析することが必要です。グラフは右肩上がりでも、これを単純に増加という言葉に置き換えてしまうと本質的な議論は出来なくなります。ところで病院勤務医の厳しさを開業医が肩代わりするという提言もよく聞かれます。ところが地域によっては開業医の六割が六十五歳以上の高齢者のところがあります。国民一般の常識からすれば働かないで余生を送るべき年齢層なのです。そこに医療崩壊の救済を求めることは全く現実を無視した議論です。医師数が毎年増加しているのは、全年齢の医師総数が増加しているのであって、総数を実働医師数の増加と置き換えているトリックに早く気付いてほしいと切に願うものです。
さらにこの番組では、医師の適正配置が重要であるとの考えから、厚労省に計画的な医師数の管理を要請しています。適正な管理が出来ると期待される厚労省の元幹部が、財政的理由のみで医師養成数を減少させる政策を決定したのです。どうしてこのような人たちに適正な医療の管理を任せることが出来るのでしょうか。一九八〇年代後半から始まった医師養成数の削減が現在の医療崩壊の根源的原因であることを強く認識し反省してこそ、日本医療の再生が可能となると考えます。医療は国民の安全保障になくてはならない社会基盤です。これを経済的理由で縮小し崩壊に導いた政策の誤りを認め、経済性を越えた国民安全保障の立場から医療の再生を目指すべきではないでしょうか。
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