平成21年7月

H1N1新型インフルエンザは絶好の試練

当地区医師会は三年前から危機対策整備を進めてきました。今年春にはH5N1新型インフルエンザを想定した対策をまとめて市側に提出し、天理市として新型インフルエンザ対策協議会が開かれるに至りました。そのような時期に突然降って湧いた今回のインフルエンザ騒動で、この二ヶ月発熱外来担当の先生達はじめ関係者のご苦労は大変なものであったと推察します。
しかしH5N1鳥インフルエンザではなく、H1N1豚インフルエンザであったのが最大の救いで、これから何度も来襲するであろう新型感染症禍への絶好の試練であると考えます。そこでまだ流行中でありますが、ひとまずこれまでの対策について反省を加えてみたいと思います。
私が取り上げた問題点は以下の四点です。
1 強毒型鳥インフルエンザを想定した対策が現実の状況と大きくかけ離れた。
2 弱毒型豚インフルエンザという選択肢もあったが、最悪の想定で立てた対策は格下の事態にも十分対応できると独断した。
3 日本の中で感染症流行段階が大きく異なった地域が出ることを想定していなかった。
4 当初から小児科対策を放棄せざるを得なかった。

1 強毒性、つまり死亡率が六〇%に達する鳥インフルエンザに対しては、患者は厳密に隔離して扱われるべきで、診療する側も最大限の防護をするべきです。そこで大変な受診までの手続きと、各段階での厳密な規制が想定されました。しかし今回の豚インフルエンザでは、あまりに早く感染が拡大して厳密すぎる規制が診療の妨げとなりました。弱毒性であることが判明した段階で、速やかに通常のインフルエンザ対策に準ずるよう方針転換をすべきでした。
2 強毒性インフルエンザへの対策が弱毒性への診療体制をカバーするものでなかったことが今回の経験から明らかになりました。死亡率六〇%の感染症はそれほどの伝搬力を持たない。殺傷力は強くても反面伝搬力は弱い。このことが、発熱外来を立ち上げ最大の防御をして時間をかけて対応し、選別した患者を特定の感染症病院に順次収容して感染拡大を防ぐという従来の対策を可能にしているのです。今回の豚インフルエンザは弱毒性だから簡単に知らぬ間に急拡大した側面があると思います。時間経過が全く異なるのです。従って弱毒性には従来の対策とは異なったものとならねばなりません。拡大期、蔓延期の診療形態を直ぐに実現できる体制が必要です。感染拡大防止よりも、急速に増加する既感染者への治療体制が最も重要であり、これは日常診療の体制で臨むしかない現状を認めるべきです。
3 今回初めて認識させられたのは、都道府県単位で感染症拡大の段階が大きく異なることが起こり得るということでした。奈良県は蔓延期とされる大阪府に隣接し、その隣の兵庫県でも蔓延期で診療所レベルでの診療が許された。同じ時期に奈良県では発症者が皆無であり、未発生地域であったという大きな矛盾です。行政単位では確かに区分されるべきですが、住民は関西地域を広範に移動しています。最も良い例が、東京で感染が判明して東京都の指示で一般の新幹線を使って帰ったら、奈良県では隔離の対象となるというものです。私の患者さんにも神戸で合唱大会に出て奈良へ帰って熱が出た。天理から高槻に毎日通学しているが発熱したというような患者がいました。受診時には三八度でなかったので診療所で隔離しながら診察し、A型インフルエンザでないことを確かめて胸をなで下ろしました。今回の経験から近畿一円くらいの広域で対策が講じられるべきと痛感しました。奈良県で初めて患者が発生した日に、市役所で第二回対策本部会議が開かれました。この時医師会がまとめた案では、一般診療所で時間帯や場所を隔離して発熱患者を受け入れるというものでした。(別掲載) その後に国の方針転換がありこの案は実施されていません。しかし事態が変わればまた生かしていきたいと考えております。
4 我々が鳥インフルエンザ対策を立案した時、小児は対象としておりませんでした。これは大きな欠陥です。しかし小児科専門医の不足は如何ともしがたいのです。県立三室病院で開かれた郡山保健所危機対策会議で、同病院長、橋本先生のご講演を聴く機会がありました。発熱外来を設置された同院は、副院長が小児科専門医であったため、小児科発熱患者が殺到して病棟一つ閉鎖して人力を傾注してもパンク寸前にまでいったと聞きました。もともと小児科の日常が発熱外来だそうです。対策案の規定では、三八度以上の患者は病院に入れないで、一旦帰らせるか院外で待機させて十分隔離の処置をして診療するようにとなっています。小児科ではこのような規定は全く現実的ではなかった様です。特に小児科診療の衰退が著しい現状では、更に困難な問題となりましょう。今回は当地区医師会の小児科医は皆さん極めて積極的に診療していただき無事に経過しております。対応能力に限界がある特定の科については、現実に対応できる柔軟な対策が考えられるべきであると思います。もし強毒性インフルエンザが発生する事態では、対策は立てられても実際に戦う医師の確保が出来るのか、この点に知らぬ顔をして作られているのが国の対策案であると言わざるを得ません。これに従って立案された我々の対策案もいろいろな不足点があります。今後の課題として更に検討していくつもりです。

弱毒性と言ってきましたが、今後強毒性を獲得するかも知れません。弱毒のまま推移すると考えるのは少し楽観的すぎるかも知れません。ただワクチン製造までの時間が稼げたことは神様に感謝しなければと思います。逆にあまりに強毒性を危惧しすぎて、行き過ぎた隔離や防御の体制、発熱外来の運営はかえって診療の障害になります。今回に関しては、神戸や大阪の対応が正しかった。国はもっと早く柔軟な対応に方針転換すべきであったと思います。感染症対策は最終的には厚労省が決定し実施するのですが、これを実効的に補佐する医師専門家集団が現状で真に実現可能な診療体制を、時々刻々変化する情勢を柔軟に判断しながら提案すべきであると願っております。




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