平成23年 2月

二〇〇六年当時虎ノ門病院泌尿器科部長であった小松秀樹氏の「医療崩壊」から一部を抜粋し紹介する。私は常々ジャーナリズムの医学記事には、未消化な理解で書かれ自己の立ち位置が明らかでないことが多い点に不満を持っている。それでいて天下のご意見番のように振る舞うことが滑稽に写る。この典型例を本書から抜粋したい。なお最後の文はごく最近の記事で本書とは関係ない。

具体例に移る。これについては、吉岡友治氏が「医療事故情報の語られ方 その言説論的考察」で問題点を整理した。

肺癌の治療薬ゲフィチニブ(商品名イレッサ)による合併症で多くの患者が死亡し、大きな訴訟になっている。ゲフィチニブをめぐる報道をレビューすれば、日本の報道が抱える問題が観察できる。
二〇〇二年五月二十五日には、読売新聞東京朝刊に肺癌新薬の承認手続きが異例のスピードで進んでいると報じられた。この記事では「この薬は、がん細胞の増殖にかかわるレセプターに直接作用する薬で、正常な細胞に大きな影響がなく、副作用が少ないという」と紹介された。ところが数日後には、

astounded(仰天した)、amazing(驚くべきこと)。先日、米臨床がん学会で発表された、がん新薬に対する専門家のコメントだ。脚光を浴びているのは「分子標的薬」と呼ばれる一群の薬、現在の抗ガン剤は、がんを殺傷する一方、正常細胞にも大きな障害を与える。がん細胞の特定場所(分子)をねらい撃ちするのが分子標的薬。ピンポイント爆撃のようなものである。
あと十年、いや五年もすれば、がん治療は確実に変わるのではないか。がんよ、おごるなかれだ。(読売新聞夕刊 二〇〇二年六月三日)

ところが、合併症が問題になり始めた。一転、逆方向の感情的記事が登場する。
「阿修羅の形相で肺炎に苦しむ妻の姿が忘れられない。効果があるか、副作用が出るか、まるで丁半博打のようだ」と涙を流す。肺癌の新薬、イレッサ(ゲフィチニブ)が、Aさんの時を止めてしまった。(読売新聞朝刊 二〇〇三年六月二十五日)

吉岡氏は読売新聞の報道のあり方を四期に分けた。第1期は発端であり、期待がふくらむ。一方で抑制の効いた記事もある。第2期の、副作用を発症した具体的患者についての感情的記述がゲフィチニブ憎しの決定的イメージを作る。
第3期は訴訟の記事が多くなる。「薬害」と決めつけた見出しも出現する。第4期はより冷静となり、客観的になり、厚労省などが関わった制度に関する記事が多くなる。効果や副作用についても、記述は冷静になる。

以上がこの本の内容の一部である。最近このイレッサに関する訴訟で和解の勧告が出たが、国はこれを拒否した。このことに関する同紙の社説を最後に掲載し参考に供したい。

 イレッサは、「副作用の少ない夢の新薬」といわれた錠剤で、二〇〇二年七月、世界に先駆けて日本で販売が始まった。申請から五か月のスピード承認だった。その際、添付文書の「重大な副作用」の四番目に致死性の肺炎が記されていたが、実際に副作用死が相次いだ。このため、厚生労働省は同年十月、緊急安全性情報を出し、肺炎の副作用を「警告欄」に記載するよう改めた。両地裁は、和解勧告の所見でこの点を重視した。緊急安全性情報が出されるまでにイレッサを飲んで肺炎を発症した患者について、「国と製薬会社に救済責任がある」と指摘した。
 これに対し、国は「適切な注意喚起を行った」と主張しているが、警告欄に記された後、死亡者が減少に向かったことも事実だ。副作用情報の提供が十分だったのかどうか、検証が必要である。国が和解を拒否した最大の理由は、副作用を重視し過ぎると、抗がん剤などの迅速な承認の妨げになる、との懸念があるためだ。だが、医薬品の承認を優先するあまり、安全性のチェックをおろそかにすることは、薬事行政上、あってはならない。 厚労省は「がん治療の新薬について、安全性を確保しつつ、できる限り早期の導入につなげていくことが大切」との見解を示した。患者のために、それを実践していくことが肝要だろう。
 日本では、欧米で評価された医薬品全般についても、承認が遅れ、治療に使えない「ドラッグ・ラグ」が問題となっている。その解消も急務だが、やはり安全性への十分な配慮は欠かせない。これまで抗がん剤は、副作用と死亡の因果関係の判定が難しいという理由から、現行の副作用被害救済制度の対象外とされてきた。国は、その見直しについても検討するという。新薬承認と副作用情報提供のあり方が問われたイレッサの教訓を今後の薬事行政に生かしたい。(読売新聞二〇一一年一月三十日)




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